ミディアムシップとは

現世を旅立たれた魂、スピリットとの交霊

ミディアムシップとは、ヨーロッパ方面ではかなり古い時代から存在する、霊界とのコミュニケーションのために用いられてきた手段です。
霊界との仲介役を担ってくれる方のことをミディアム(仲介者、媒介者)と呼びます。

コラボメニューのページでも少しご紹介しましたが、生きている人同士は触れ合うことができますので、「スキンシップ」を取ることができます。
亡くなられた方はこの世界に触れられる形を残していないため、霊魂や魂とのコミュニケーションが必要となります。
この世界での肉体を手放して次の世界へ旅立たれた魂と、現世に残った方々のためのコミュニケーションを仲介してもらい、お互いに心残りがないよう、双方を癒すためのセラピーとなっています。

本当は奥が深い、ミディアムシップの世界

天国にいる特定の故人ともう一度どうしても話がしたい!
という方も、中にはいらっしゃると思います。
けれど、故人にそうした想いを残されている方ばかりではないということや、霊界とのコンタクトがそういった想いばかりで必要とされているわけでもないということがあると思います。
一般的に受け入れられている国では、特定の故人を指定したコンタクトだけでなく、広くミディアムシップが利用されているようです。

例えば、現世に生きる人が何かに行き詰まり、思い悩むことがあった時、天国にいる誰かに助言を求めたいという際には、「この人」と思ってお越しいただけるようお願いしたのとは、違うかたがおいでになるケースもあったりするそうです。
(祖父に!と思ったけれど、実際には祖母が来てくれた。というような、意外な人が現れるといったようなケースがあります)
それは、会いたいと思った方に拒否されたというのではなく、コンタクトを取ったタイミング、その想いの原因に対して最適なアドバイスを授けたいと思ったお相手がコンタクトに応じてくれるというケースがあるからです。

また、輪廻転生の観点からいうと、特定の故人自体は既に生まれ変わりのプロセスを体験しているかも知れなくても、その方の生きておられた魂のアイデンティティ、人格、スピリットは、世界に生き続けているというお話。
心理学では、肉体や国境を超えた”集合的無意識”という、人類に共通した意識が存在すると言ったりしますが、魂の世界も同じように、特定の個人を区別するような形式ではなく、個別の魂とは異なったスピリットの存在、人格とのコンタクトを取っているとも言われています。

ミディアムシップに対応してくれる魂は、みな天国から応えてくれる愛の存在であり、ご縁のある魂としか繋がらないと言われています。その確証を得るために、ミディアムの側からエビデンスという、ミディアムシップのコミュニケーションを取る当事者同士しか知り得ない情報を持って、魂の本人確認を行い、仲介を希望する方が「間違いなくその人だ」と安心できる状態になってからセッションを始めます。プライベートなこと、デリケートな内容であっても、それは魂の存在を仲介するためだけに取り扱いますので、もちろん、秘密は守られます。

魂のエネルギーを仲介するのに言語は関係ない

ミディアムシップのセラピーは、亡くなられた故人だけではなく、魂の世界に帰ったペットたちも同様にコミュニケーションを取ることが可能です。
ミディアムは霊界のスピリットと言語を通じてコミュニケーションを取るのではないため、まるで通訳のように伝えられたメッセージを共通の言葉で知らせてくれます。
できるだけ理解が進むよう、お互いにわかりやすい表現を使い魂の伝えたいことを言語化し、時にはどんな様子か、見えているものを伝えてくれたりもします。(今、あなたを抱きしめていますよ。というような)

ですから、コンタクトを取るお相手が動物であっても外国の人物であっても、ミディアムが受け取った言語で通訳してくれると思えば、生前は同じ言語でつながり合うことができなかったお相手であっても、コミュニケーションが取れるということです。
ただ、あくまで「ご縁のある魂」としか繋がりませんから、理由なく興味本位に歴史上の人物に会いたい。と思っても、応えてもらえる確証はありません。
そこは、人と人のコミュニケーションと同様なので、お相手次第となるのも頷けます。

日本においてはオカルト的に死後の世界が扱われてきたこともあり、信じるか信じないか…。という世界観にも思われますが、あなたと故人でしか知り得ないようなことを、初めて接触する第三者のミディアムが、ミディアムシップを通じて初めて口にする姿を目にすれば、信じざるを得ないと感じるより先に、そこにいる故人の存在を感じ、心が揺さぶられる体験をするのかも知れません。
そうして、だんだんと国内でもこのセラピーが広がっているのではと感じます。

また、このセッションの技術自体はヨーロッパなどでは管理する法律ができるほど一般的であり、特殊な能力ではないとも言われるそうで、第六感のように誰もが持つ能力を開発しただけのものとして扱われていて、その手法や能力を伸ばすための学校や講座なども開かれていますが、日本国内でも徐々に広がりを見せているようです。

運動や勉強のように、人によっての得手不得手があるのは、こうした能力の開発であっても同じことだと思いますので、全ての人が完全に習得できるかどうかはわかりませんが、誰でもが癒しの力を得られる、本来は持っていると考えられていると知ることができるこのセラピーは、他のすべてのセラピーにも通じるものがあり、素敵だなと感じています。