癒しカテゴリーの記事に限らず、庵主の思ったままを掲載していく「徒然」ですが、今回は先日(もうだいぶ時間が経ちましたけどw)見た「やりすぎ都市伝説」の中で、関さんがクチにした言葉に触発されて書きたくなったことを。
いつもフリーメイソンだとかイルミナティだとかに絡めて未来のゆくえについて語る関さんですが、今回の放送では日本のムーンショット目標などのお話に加え、「思考の現実化」とか「量子力学」の話をしていました。
そして、AIの話の流れでバイデンさんが「本物」なのか?なんて話も…。
ネットのとんでも話?も含め、バラエティだから許されることもあるのかもしれませんが、私はもうここ何年も「思考の現実化」ということにとても関心があるんですよね。
というのは、私はやはり「アトピー」の肌や身体をどうにかしたすぎて、この現象のない身体を自分で作れるっていうことに気づいてから(過去3日間だけ完治したと体感できた経験があるので(*このお話はまた改めて))私のアトピーはもはや、「デトックス」だとか「免疫力」だとかいうところにはなく、「脳みその使い方」「思考の騙し方」いわゆる、病院にいくといつも何かと「原因」とされる「ストレス」をどうにかできたら治ると感じたから。
そのストレスをないものにするためには、食べ物とかなんとかの話ではなく、何かの現象に対してそれを「ストレス」と感じる「思考」そのものをどうにかすれば、現実(身体)は変わる。と考えたわけです。
実際、体験した「完治」のキッカケは、私のメンタルが満たされた・癒されたことだったと思っています。
お店をやっていたころ、癒され祭の主催をしていたことでたくさんの癒しに関わるコンテンツに触れ、不思議なことやいろんな技術に触れることができ、「思考」の操り方とは意識しないところで、自分の「思考の根源」に触れる体験をさせていただいて、その都度、自分の変化に気づかされることが多々ありました。
私は特に量子力学を学んではいませんが、自分のための「理解」として採用していることがいくつかあって、一つは、「意識しなければそれは存在しない」ということと、「意識したところから現象は生まれる」ということ。そのふたつは「根源」のように感じています。
京都にいたころに触れた話で理解しやすかったのは、こんなお話です。
始まりは真っ暗な世界。
ただ、闇。
上も下も右も左もない、闇の世界。
そこがぼーっと見えているだけの世界の中に、自分の存在を認知する意識はなくて、ただ、そこに生まれた青い光に「炎だ」と、思った瞬間、その空間に青い炎が生まれ、もうひとつ、「あ、炎がもうひとつ増えた」と思ったらもうひとつ増え…。
と、「はじめに言葉ありき」と言ったのは誰だったか…(確か、聖書の言葉とかでしたよね?)まさしく、その言葉どおり、何かをふと意識した瞬間に言葉が生まれ、その言葉が現象を作っていき、その現象を見ている自分の存在が明らかになる。という感覚。
その体験をシェアしてくださったのは、昔バーのマスターをしていたということで、”マスター”とあだ名で呼ばれていた濱田浩朱さんでした。
(詳細ニュアンスだいぶ違うとは思いますが、詳しくは著書などもありますのでご参考まで。私が理解しやすく話すと上記のような感じになってしまっていますが、申し訳ありません)
“わたし”が目覚める ― マスターが体験から語る悟りのお話 (覚醒ブックス)
それを聞いていたことがあり、自分の体験などを踏まえ、だんだんと「思考の現実化」ということに益々興味がわき、自分で再現、体現できるようになりたい。と、考えました。
私でいうと、アトピーを意識していることで肌の調子が悪くなり、「調子が悪い」「肌が汚い」と意識することでもっと現象が現れ、悪化していくみたいなイメージ。思考そのものが現実化してしまう流れ。
それを逆向きに使えたらいいと思ったわけです。
しかし、そもそもが大して熱心に物事が続かない性分もあるもので、何を突き詰めたらいいのか?学問に傾倒するでもなし、というところで手に取ったのが、「誰でも今すぐ、瞬間でできる!」なんていう(苦笑)
とってもお手軽なヒーリングの方法の中にヒントを見つけたのです。
クォンタム・エントレイメント=QE(量子の同調)
フランク・キンズローという方が提唱する、ヒーリングとしてのQEは、「純粋な気づきがもたらす癒し」ということだそうですが、その中に私の体験した「アトピーの完治」の再現をもたらすヒントがあると思いました。
前述のマスターのお話同様、量子力学の世界でいうところの「波・波動」>「素粒子」>「原子」>「分子」>「物質」。
この「波」よりも前、「無」の世界に気づくこと。
フランク・キンズローさんの本の中では、そのことを「純粋な気づき」と言われています。
いずれも、「無」「闇」など、何もない根源の世界から「気づいた」ところで現象が生まれる。
階層的にいう、「無」「闇」以下・以前の世界。というのが、心理学的な世界でいう「集合的無意識」とつながっているのかはわかりませんが、私の中ではそこに気づけることによって、健在意識が見ている世界の現象を根本から変えることができる。
つまり、脳みそを騙せる。健在意識の見ている以前の地点に自分が気づくだけで、結果、現実が変わる。”私のストレスはストレスではない、存在しない”という意識に置き換わることで、私の体は変わる。と、考えたわけですね。
ただ、これは例えば、欠損した体部が出現、再生するか?というようなお話ではなくて、いや、それすら起こり得るかも、とは思いはしますが、それはまた別のお話として、例えばご本人そのものが欠損していない世界線に存在するという現象が、私たちの知らないところで起こるというようなお話なのかもしれないと思っています。
常々、日々、その現実が変わるモードにスイッチが入るわけではないので、実践をできているか?と言われれば、まだまだ健在意識に振り回され、いらぬところ(肌が汚い、悪化してる)へ意識を働かせては、せっせとお肌が思わぬ方向へ行ってしまいがちではありますが…。
女性がよく言う、「彼氏がいるとお肌が綺麗になる」的なことは、あながち嘘ではなくて、やはり、幸福感に満たされているとそういう「癒し」が体に起こるというのは誰しもあるものなのだと思います。
嫌なところ、見たくないところに焦点が合わなくなるためかもしれないという感じ。
お手軽な幸福感として、『お腹が空くと美味しいものを食べる=満たされ感から幸福だと感じる』というような、脳が騙される現象でなく、「思考」を操ることで現実を変える。そのチカラをわかりやすく持てる自分になりたいものだ。と、思っている私にとって、「都市伝説」の関さんのお話は、「え?誰でもがそれができる時代、あたり前の時代になるの?」と、ちょっと期待してワクワクした一瞬はありました。
でもむしろ「アバターでそれをやってのけよう」ということなのかしら?と思う部分もあったりするので、それは残念ポイントになったりもするのですが。
私は特段「アバター」に喜び感はなくて、この人間らしい、制限のある世界の中でいかに満たされるか?という、ドM的人間社会だからこその楽しみに、まだまだ浸っていたい存在なのかもしれないなと感じている次第です。