庵主について

これまで他で書いてきたプロフィールやポートフォリオとは違い、このサイトでは自己紹介として、庵主の生い立ちや体験したことについて触れてみたいと思います。

人の人生って、切り取り方捉え方によって、いい面だけ、悪い面だけをセレクトすると、順風満帆にも不幸にも見えるものかもしれません。

ブランディングをするときには特に意識しますよね。
ただ、どこにフォーカスするか?という視点は、誰かにそれを伝えるときもそうですが、自らが自らの人生をどう捉えるか?ということにおいても、重要な視点かなと感じています。

そんな風にして切り取った一面も、大人になって振り返ると、同じエピソードに対して自分と他者の捉え方の差に気づき、真実は何だったのか?と、思うことがあったりもするもので、自分の中で思い出を書き換えたり、思い込みを上書きアップデートできたりすることもあるものですが、私は私の人生をどう捉えてきたか?まずは、絞り込まず、ブランディングもせず、経験してきたこと、これまで人に伝えてこなかったことも含め、振り返り的に書いてみたいと思います。
誰かとの共感の種撒きのつもりで悲喜こもごもに…。

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大阪府豊中市生まれ。

神社にほど近い産婦人科で、満月の夜、日付をまたいですぐの頃に産まれました。

幼少期は大人しく、よく眠る子供だったと言われましたが、生まれてすぐからのアトピーで、新生児アトピー>乳幼児アトピー>小児性アトピー>その後、今の今までずぅーっと、人生の中で良くなったり悪くなったりを繰り返しながら患い続けています。いまのところ、私を作り上げた主成分といえるもの。

このアトピーも、ジュクジュク、ただれて真皮が見えるほど真っ赤な皮膚から、浸出液が出て、「感染(うつ)る」とか「宇宙人」「きしょい(気持ち悪い)」と言われ続けた幼少期を経て、ガサガサかさかさで皮膚が剥がれ落ち、粉が噴きまくってひび割れて裂けて、絆創膏を貼っても痒いやら痛いやらの思春期を越え、薬のせいですっかり薄くなった皮膚から毛細血管が透けて見えるような赤ら顔で成人となり、社会人になってからも皮膚科ジプシー、あらゆる治療法に藁をも掴む勢いで手を出しては、騙されたり悪化させたり死にそうにもなりながら、環境を変えたり病院を変えたりしつつ、ときには捉え方を変えてみたりしても、結局ステロイドのお世話になる生活を繰り返し、治療費貧乏というか、無駄に治療費を費やしている人生分の時間が現在も進行中。
この病気を患っているからこその外見も相まった体験も数多くありました。
まずはそんな体験も含め、エピソードまとめ。詳細はおいおいと…。

エピソードもくじ

【幼少期】
・母と祖母から「ノイローゼになる」と言われて育つ。
・弟に少しの嫉妬心。
・いじめ。
・小さい子が癒し。
・クラシックバレエと自慢の柔軟性。
・小一で初めて意識した「死」の体験。

【思春期】
・いじめと過呼吸と胃痙攣。
・初恋。
・引越し。
・罪悪感なき陰湿さとの戦い。
・レイプ未遂。
・カメラ小僧との遭遇。

【成人期】
・アルバイト多種体験せり。
・阪神大震災。
・変な人を引き寄せる。
・通り魔あるいはストーカー。
・ファンレター。
・いやがらせと自律神経失調症。
・モテ期?不倫の誘いとデートDV・レイプ。
・使者からカルマのお告げ。
・婚約破棄と鬱。
・三日間限定完治体験。
・独立起業、店舗開業。
・閉店と借金。
・ブラックな雇用。
・貧困。
・移住